プーチン大統領、侵攻の予兆は15年前に 怒りぶちまけた30分間
2022年08月21日
ロシアのプーチン大統領がウクライナに侵攻するに至る予兆はいつからあったのか。過去の米政権で対ロ政策を担った元高官たちに取材をすると、複数の人物が2007年のドイツ・ミュンヘンでの出来事を挙げた。 【写真】「プーチン氏ぶち切れ」ブッシュ政権なぜ見過ごした 進言相次いだのに 「NATO拡大はいったい誰に対抗するためのものなのか?」「米国はあらゆる意味で国境を踏み越えている。危険きわまりない」――。 同年2月のミュンヘン安全保障会議。各国首脳らを前に、プーチン氏は30分間にわたってロシア語で「米国批判」を続けた。国際会議の場で、プーチン氏が米国への不満をぶちまけたのは初めてだったという。 ダニエル・フリード元国務次官補(欧州担当)は、「あのとき、米国はロシアへの態度を変えるべきでした。プーチン氏がのちに侵略者になると気づくのが遅すぎた」と振り返る。 複数の米高官が当時のブッシュ政権に、ロシアへの警戒を強めるよう進言した。だが政権は、プーチン氏との協力路線を続けることを選んだという。 その後、ロシアは08年にジョージアに軍事介入。14年にはウクライナに侵攻し、クリミア半島併合へと突き進んでいく。(ワシントン=高野遼)
朝日新聞社