孫さんと徳川家康に学ぶ投資のヒケツ
これは、日本人なら誰もが知っている
歴史上の偉人です。
2023年の大河ドラマの主人公に
なることも決定しているのですが...
あなたはこの人物をご存知ですか?
(ヒント:天下統一を果たしたあの人です)
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彼の名は、徳川家康。
ご存知、信長、秀吉の後に
天下統一を果たした人物ですね。
教科書で見ることが多いのはこちらの肖像画だと思います。
どっしり構えた、威厳のある姿...
それと比較すると、何だか頼りなさそうな
肖像画のタッチですよね...
でも、実はこの画には、
- 家康が天下統一を果たし、15代も続けて天下を保った秘訣
(わたしたち投資家として長く勝ち続けるためのヒント)
が隠されているんです...
家康といえばどんなイメージをお持ちですか?
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- 織田信長「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」
- 豊臣秀吉「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」
- 徳川家康「鳴かぬなら 鳴くまでまとう ホトトギス」
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有名な一句が表すように、
信長、秀吉によって成し遂げられた天下統一の
おこぼれをもらった、ラッキーな人物。
少し悪い言い方をすれば、ズルい人物...
そんなイメージがおありかもしれません。
ですが、彼の人生は不運の連続だったのです...
家康は、波乱の人生を送ってきました。
- 6歳から19歳の間、主に今川家の人質になる
- 父親は7歳の時に殺害される
- 人質解放後も信長に服従
- 信長の死後は、秀吉に服従
- 長男が切腹により早死に
常に耐え忍ぶことを強いられてきたのです。
ですが、不運だけではありません。
1つ恵まれた点があったのです。
それが、信長や秀吉の失敗を間近で見ることができたこと。
信長は先見性とカリスマを持つばかりに、
自分の能力を「過信」。
傍若無人に振る舞い...
聞く耳を持たず...
家臣に次々と裏切られました。
最終的に、明智光秀に寝首をかかれたのは有名ですよね。
そこで家康は、自分を裏切るかもしれない人物を
作らないように細心の注意を払ったのです。
例えば、家康の長男は酒井忠次という
武将によって切腹させられました。
しかし、忠次に対して
「よくも長男を殺してくれたな...」と
突っかからなかったのです。
まずはどんな背景があったかを落ち着いて聞き、
実は信長によって仕組まれたものだとわかると、
忠次を許すことに。
罰するどころか、能力を認めたのです。
その結果、関ヶ原の戦いの頃には、
忠次は徳川四天王のトップに君臨。
彼がいなければ、家康軍が戦いに勝つことも、
その後の天下統一もなかったかもしれません...
一方の秀吉は自分の健康状態を"過信"していました。
若い時は非常に体が丈夫だった秀吉。
53歳での天下統一後も、
健康に特別気をかけることはありませんでした。
しかし、ある時を境に
健康状態がどんどん悪化...
ついには病死をしてしまいました。
(原因は梅毒や大腸ガンと言われています)
これを間近で見ていた家康は、健康オタクに。
真夏でも温かいうどんを食べて胃腸を守り、
普段は粗食を心がけ麦メシばかり食べたそう。
そのうえ、健康のため自ら薬の調合まで行うという徹底ぶり。
そのこともあって、75歳まで生きることができたのです。
当時の平均年齢は40歳ですから、ほぼ倍ですね。
このように、家康は信長と秀吉を反面教師にして
主に「過信」による失敗を避けるようにしてきたのです。
とはいえ、家康は生まれつきそのような
タイプだった訳ではありません。
もともとは根っからの自信過剰タイプ。
すぐに調子に乗ってしまうことが多々あったのです。
そんな家康を変えたのが、この画でした。
家康の祖父と父はどちらも自信過剰で
カッとなると見境がなくなる性格。
2人とも家臣の恨みを買い、
二十代で殺害されています。
そのため、家康も遺伝的には
怒りやすいタイプだったのです。
実際、現在の浜松城の近くで行われた
「三方ケ原の戦い」では
武田信玄の挑発にまんまと乗せられ...
武田軍:2万4,000人
徳川軍:1万2,000人
と、兵力差2倍の勝ち目のない戦に挑むことに。
案の定、大敗。
武田軍の10倍にのぼる兵を失い、
有力な家臣も亡くしました。
これに対し、家康は
「過信・慢心していたこと」を反省。
今後、同様の失敗を2度と行わないように戒めとして
少し不恰好な肖像画を描かせたのです。
この画は「顰(しかみ)象」と呼ばれていますから、
威厳がなく、しかめっ面なのも指示して描かせたのかもしれません。
以来、物事が上手くいく度にこの画を見て
「過信のワナ」を徹底的に避けた家康は
1600年、58歳の時に天下統一を達成。
江戸幕府を開き、徳川家の天下は264年間続きました。
織田家は7年間、豊臣家は16年間でしたから、
10倍以上ですね。
しかみ像は徳川家で代々、引き継がれたので
後代も過信に陥ることなく「大政奉還」まで
天下を維持できたのかもしれません。
×信長は自分の力量を過信し、家臣に裏切られました...
×秀吉は健康状態を過信し、病死をしました...
○家康は過信をせず、75歳まで生き、264年続く天下を築きました
"上手くいっている時こそ過信に注意"
これはわたしたち個人投資家でも同じですね。
投資を一定期間続けていると、
ついつい調子に乗ってしまう
タイミングが訪れるでしょう。
例えば、
- 買った株がずーっと株価上昇をしている時
- どの株を買っても、ほとんど値上がりする時
- 有名な投資家よりも高いリターンを上げている時
などなど、
そんな時には自分は実力があるとか、
運が回っていると考えてしまうかもしれません。
では、例えば、1つの銘柄に多額の投資をしてしまうとどうなるでしょうか?
急に投資を加速してしまうとどうなるでしょうか?
結論、その投資が上手くいけば大儲けです。
でも、逆にいうと...大損の可能性も。
これまで積み上げて来たものが
崩れてしまうかもしれませんし、
「しばらく株式投資はやめよう...」
と思うくらいの痛手を負うかもしれません。
だからこそ、上手くいってる時こそ...
このしかみ像を思い出して
過信をせず、長く投資を続ける
そんなことを意識されると良いかもしれません。
ちなみに、2022年8月...
ソフトバンクの孫さんは
投資事業での巨額の赤字を報告する際
この肖像画をスクリーンに映し出していました。
「大きな利益を出したときに有頂天になる自分がいたことが恥ずかしい」
一時、7兆円も利益を出していた投資事業ですが、
自身の投資手腕を「過信」しすぎた結果
3兆円の赤字を出したのです。
過信をせず、長く投資を続ける
当たり前なことではありますが、
孫さんほどの人でも忘れてしまうことがあるようです。
徳川家康や孫さんのことを思い出し、
慎重にコツコツ投資をしていきましょう。
良い投資を!
*今回の歴史的解釈が正しいと断定するものではありません
P.S.
過信による失敗をしないために、
重要なことはもう1つあります。
それは、"感情に左右されないルールを持つ"こと。
投資で言えば、
- 1つの銘柄が上がると信じすぎて、大量の資金を入れてしまわないこと
- 期待通りに株価が上がらず資金がドンドンと減っていく前に、損切りを行うこと
などです。
では、どんな基準を持って、1つの銘柄の投資額を決めればいいのか?
どのようにして損切りを行えばいいのか?
Oxford クラブでは、それぞれ
- 1銘柄への投資額は最大4%(100万円の資金があるなら、4万円まで)
- 損切りタイミングは株価が-25%(100円の株価から、75円に下がった時)
という目安を設け、1銘柄あたりの損失を1%に抑える方法を提唱しています。
より詳しい内容や、投資すべきおすすめの銘柄はこちらでご紹介しています。