安倍氏は日本政界の「ラスト・サムライ」 月刊朝鮮元編集長、趙甲済氏
韓国のオピニオン誌「月刊朝鮮」の元編集長、趙甲済(チョ・ガプチェ)氏が、同誌8月号に「私が会った安倍晋三、〝ラスト・サムライ〟の生と死!」と題する記事を寄稿。安倍元首相の生前、韓国の記者として初めて行った自身の単独インタビューなどを振り返り、対北朝鮮や安全保障の政策を中心に安倍氏の功績を評価した。以下はその抄訳。
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安倍晋三元首相には内閣官房副長官であった2005年3月と、首相在任中の13年3月に二度インタビューし、北朝鮮の人権問題に関する集まりでも何回か会ったことがある。
■韓国人の拉致被害者問題も提起
安倍氏は2002年の官房副長官当時から、北朝鮮による日本人拉致問題の解決に努めた。北朝鮮の人権問題には冷淡であった韓国の金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権に対し批判的な韓国の保守層、特に北朝鮮の人権問題活動家らは安倍氏に好感を持った。安倍氏は韓国人の拉致被害者問題も提起し、韓日連帯ができた時期があった。
05年にインタビューした際の安倍氏は、韓国で当時、すで定着していた〝極右〟のイメージとはほど遠かった。
安倍氏は02年9月に小泉純一郎首相(当時)の訪朝に同行。北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記(同)は小泉氏との首脳会談で、日本人拉致を認めた。金正日氏は、このように率直に出れば小泉氏の決断で日本との国交ができ賠償金も得られる、と計算したようだったが、これは民主主義国家の世論とメディアを理解できていない誤った判断だった。
金正日氏の自白に憤怒した世論に加え、日本政府も強硬策を取った。こうした路線転換の中心にいたのが安倍氏だった。翌10月に日本人拉致被害者5人が、10日後に北朝鮮へ戻るという条件で日本に帰国した。小泉首相から全幅の信頼を受けた安倍氏は、拉致被害者を北朝鮮に戻すべきだという外務官僚の主張を抑え、「政府の方針として送還不可」を決断した。結局、この強硬策は北朝鮮を屈服させた。2年後、日本は北朝鮮にいた拉致被害者の家族も帰国させた。
■「韓国の融和政策が北に利用されている」
安倍氏は、韓国で文在寅(ムン・ジェイン)前政権(17~22年5月)当時、金正日氏よりも非好感度が高かった。その原点は北朝鮮の人権問題に対する安倍氏の強硬路線が、朝鮮半島の左派勢力を刺激したことと関係がある。南北の左翼が安倍氏を攻撃し、純真な一部の保守層もその尻馬に乗って安倍氏を攻撃するようになった。
安倍氏は盧武鉉政権(03~08年)の対北融和政策に批判的だった。「北朝鮮の脅威にさらされる韓国の立場は理解するが、融和政策が北朝鮮に利用されている面がある。北朝鮮は韓国の誠意ある支援に対し善意では報いず、得られるものはすべて得て、与えるものは与えずにいる。(韓国の)融和政策は北朝鮮の政策を変化できていないと思う」と話していた。
安倍氏は盧武鉉大統領(当時)に会った際、「日本人拉致問題は日本だけの問題ではない。韓国政府と共同で対処し情報を交換しよう」と要請したと語っていた。安倍氏が本物の人権活動家のように見えた。
安倍氏は朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領を高く評価し、次のように語っていた。「朴正熙大統領は韓国の安全を確保し、次に経済発展を成功させ韓国の発展に大きな功績を残した。特に日韓国交正常化という困難な決断を下し、結果的にこれが韓国の発展を後押しした。政治家というのは、重大な事案に対し正しい判断を下すことができるか、そうでないかで判断される。朴正熙大統領は重大なことに正しい判断を下された方だと思う」
安倍氏は朴正熙氏の娘である朴槿恵(パク・クネ)氏の政権(13~17年)と、悪化した両国の関係を改善しようとした。だが、朴槿恵大統領(当時)は就任直後の13年3月1日の記念演説であいくちを突きつけるような反応を見せた。
「加害者と被害者は、歴史的立場は1000年経っても変えることができない。日本は歴史をまっとうに直視し、責任ある態度をとらねばならない」
■「歴史認識の問題は政治問題化してはならない」
私が安倍氏に会ったのは、この翌日だった。安倍氏は「韓国と日本は、自由と民主主義という価値と利益を共有するもっとも重要な隣国だ。朴槿恵大統領就任を祝福する。21世紀にふさわしい未来志向的で重要な同伴者関係を構築するために協力したい」と述べた。
また、前日の朴槿恵大統領の演説に言及し、真摯(しんし)に次のように説明した。「私は韓国人に筆舌に尽くしがたい苦しい過去を作ったことなど、その方々の心を思えば非常に胸が痛む。だが、歴史認識の問題について言わせていただければ、政治問題化、外交問題化にしてはならないと思う」「慰安婦問題に対しても、非常に苦痛な過去を味わった方々に対し、これまでの(日本の)首相がそうであったように同じ考えだ」
「朴槿恵大統領は大きな苦難を克服し大統領になられました。私も共感する点があり、信頼関係を構築したい。朴槿恵大統領は両親が暗殺され、自らも襲撃され顔に傷を受けた。そのような苦難を克服された方だ。本当に立派な指導者だと思う。官房長官時代に食事を共にしたこともあります。信頼関係を構築し、日韓の新しい時代を作りたい」
しかし、朴正熙の娘である朴槿恵氏は安倍氏の手を振り払い、(当時の前職大統領であった)李明博氏の失敗を継承した。なぜか。韓国に垂れこめた左傾的歴史観と反日種族主義の重い影に答えがあるようだ。大統領になるために、父(朴正熙氏)が誇らしく思っていた5・16軍事革命(1961年5月)と維新について、朴槿恵氏は代わりに謝罪したほどだ。
続く文在寅政権当時、北朝鮮の核・ミサイルの脅威に対する文在寅氏の無関心と安倍氏の警戒心は、韓国の安保に安倍氏がより神経を使っていることを示したが、韓国人は金正恩(キム・ジョンウン、現朝鮮労働党総書記)よりも安倍氏をより憎んだ。徴用工訴訟で日本企業に賠償を命じた2018年の韓国最高裁判決をめぐる両国の葛藤は、19年の貿易報復や韓日の軍事情報包括保護協定(GSOMIA=ジーソミア)の破棄寸前にまで至った。
安倍氏は同年8月6日、「韓国が一方的に日韓請求権協定への違反行為をし、国交正常化の基盤である国際条約を破った。現在、日韓の最大の問題は、国家間の約束順守に対する信頼の問題だ」と語った。
■「私の主張が極右的なら世界すべてが極右国家」
安倍氏は、自身を極右とする韓国メディアに反論した。韓国メディアが安倍氏の集団的自衛権の行使についての考えや防衛庁を防衛省に格上げしたことに批判的だったことに対し、「韓国は集団的自衛権を行使できませんか? 韓国の防衛を担当する政府機関は他の部署よりも格の低い機関ですか? そうではありません。私の主張が極右的であるというのならば、世界の国すべてが極右国家になってしまいます」
安倍氏は退任後、自身の政治哲学を引き継ぐ後任者選びにも成功し、自民党の実力者としても健在した。対して、朴槿恵、文在寅の両氏は敵対勢力に政権を渡し、失敗した指導者となってしまった。
安倍氏暗殺に対する日本人の哀悼は、2日後の参院選で自民党大勝につながった。執権勢力が衆参両院で3分の2以上の議席を占め、安倍氏の念願で成し遂げられなかった改憲が可能となった。安倍氏の熾烈(しれつ)な生き方は、侍の生涯だった。日本の政界の〝ラスト・サムライ〟である安倍元首相の冥福を祈る。