小泉純一郎「構造改革」の正体は「アメリカへの手土産」だった
小泉政権の構造改革では、企業倒産には一定のリズム、周期があることがわかってきました。ある節目では倒産件数が増え、それが終わるとさっと落ち着く。しばらくするとまた山が来たという。日本経済新聞記者の前野雅弥氏が著書『田中角栄がいま、首相だったら』(プレジデント社)で解説します。
企業倒産には一定のリズムがあった
■アメリカ追随外交から決別せよ 日本の国益を守り、時として同盟国であるアメリカとも渡り合う。今の日本の政権にそれができるだろうか。やるべきだ。日本はアメリカ依存から脱却するときに来ている。日本がアメリカの意向をいかに忖度するか。この国はアメリカへの忖度で回っている。 そして、どれほどの国富を海外に流出させているのか。そのことを私は記者時代の取材で痛感した。 たとえば、流行語にもなった「構造改革」。当時の首相は小泉純一郎だった。小泉は日本経済復活のカギは「3つの過剰」の解消にあるとし、(1)雇用、(2)設備、(3)債務を過剰に抱える企業をやり玉に挙げた。 日本経済が目詰まりを起こしている原因は、こうした3つの過剰を抱える企業にある。「痛みを伴う改革」で、経営の危ない企業を思い切って淘汰し、経済の血液を循環させていかなければならない、それが構造改革だ、と言うのだった。乱暴だった。しかし、流れは到底、止まらなかった。 政府は銀行を攻めることで「3つの過剰」に陥った企業をあぶり出していった。日本は間接金融で経済を回す。銀行ごとに系列企業を抱え込み、財務状況を把握し、経営が危ういとなれば人を派遣し、再建に取り組む。そうやって系列企業を束ね、支えてきた。 小泉はそこを逆手にとった。「3つの過剰」に陥った企業を銀行にピックアップさせ、融資を止めさせ、法的整理に持ち込ませた。逆らえば、銀行そのものの存続が許されなかった。 「次はどこが逝くのか」 「あの会社が危ないらしい」 「法的整理の準備に入ったらしい」 噂が出ると、次の週には本当に名前が出た会社は実際に倒産した。そんな時代だった。しかし、面白いことに気がついた。取材を続けていく中で、次第に企業が法的整理、つまり企業倒産には一定のリズム、つまり周期があることがわかってきたのだ。 ある節目では倒産件数が増え、それが終わるとさっと落ち着く。凪の状態が続く。しばらくするとまた山が来る。そしてさっと引く。そんなサイクルが存在することがわかった。 この節目こそ、アメリカだった。高官が来日する前に倒産の数が増えるのだった。たとえば、ブッシュ大統領の来日が決まると、水面下で銀行の頭取が官邸に呼び込まれ「構造改革」への協力を求められるのだ。 「来週、ブッシュが来る。あなたの銀行では、どこを出せるのか」 官邸が銀行に対して、系列企業の淘汰、つまり法的整理を迫っていたのだった。 間接金融が支配する当時の状況の中で、メインバンクから融資を止められて存続できる企業はない。銀行から「おたくはこれだけの債務がある。もう法的整理で身軽になって新たな再生の道を模索されたらいかがでしょうか」と最後通牒を突きつけられれば、企業は従わざるを得なかった。この最後通牒のタイミングがアメリカの高官来日の前に集中していたのだ。 これを小泉政権は「構造改革」と呼んだ。そして、それをアメリカが求めた。 「ここと、ここを法的整理する」 小泉政権はブッシュが来日する度に、日本の企業の倒産を「手土産」として用意していたのだった。これこそが構造改革の正体だった。 銀行は霞が関の官僚の意向を汲みながら、構造改革の生贄になって倒産した会社の再編シナリオを描いていった。そして、そこに外資系投資ファンドのマネーが入り込んだ。マーケットの実勢価格から大幅に低い価格で企業を買い、成長軌道に乗ったところで売り抜けて鞘を抜いた。「日本企業」という国富が、アメリカの圧力で金もうけの道具にされたのだった。