角栄の深謀…「日中国交回復」は日本のエネルギー政策だった

2022年08月11日

中角栄の政治家としての先を読む力は卓越していました。資源エネルギー庁発足については中東戦争、石油危機という先を読んだというよりは「今、ここにある危機」、つまり尖閣諸島問題、東シナ海の油田問題への対応でした。この問題に日中国交回復が大きく影響してきます。日本経済新聞記者の前野雅弥氏が著書『田中角栄がいま、首相だったら』(プレジデント社)で解説します。

東シナ海の油田を守った日中国交回復

■「日中国交回復」もエネルギー政策の一環だった 「世界のエネルギー関連の情報を一元的に収集、分析して対策を立てていく部署が必要」というのが、田中角栄の問題意識の起点となった。資源エネルギー庁がちょうど第一次石油危機の1973年に発足したことで、日本は世界情勢を的確に把握できたし、対応が後手後手に回らずに済んだ。「先を読む角栄の勘のすごさ」とみる向きが強い。 確かに角栄の政治家としての先を読む力は卓越していた。ただ、資源エネルギー庁発足についてはそうではない。中東戦争、石油危機―という先を読んだというよりは「今、ここにある危機」に対応した。つまり尖閣諸島問題、東シナ海の油田問題だ。この情報収集に角栄は資源エネルギー庁を利用しようとした。そして実際に利用し、それが功を奏した。 決定的だったのが1970年である。この年、日本の国富とも言うべき尖閣諸島の石油は最大の危機に直面した。台湾(中華民国)が大陸棚条約を批准し、1970年10月に台湾国営の中国石油公司との契約を前提に、アメリカ系メジャー(国際石油資本)5社に東シナ海の鉱区を割り当ててしまったのだ。 尖閣諸島周辺の鉱区はガルフ社に割り当てられた。もちろんこれに日本が同意したという事実はない。ただ一方的に台湾からガルフ社に対して鉱区が割り当てられ、これを受けてガルフ社は石油資源調査に乗り出していたのだ。 ガルフ社にしてみても、距離的には台湾と組むのが最も効率的だ。尖閣諸島の魚釣島から台湾までの距離は170キロメートルで、日本の石垣島までの距離とほぼ同じだ。沖縄本島までが410キロメートル、中国大陸までが330キロメートルなので、海底を掘削し掘り出した石油をパイプラインを使って移管、精製したうえで備蓄するとすれば、台湾が最も効率的で石垣島よりも広く現実的だった。東シナ海の鉱区を割り当てられたガルフ社以外の4つのメジャーにしてみても同様だった。 このとき、一歩間違えば、日本が知らないところで尖閣諸島海域を中心とした東シナ海で、堂々と日本の国富が収奪される寸前にまで行っていたのだ。 状況を大きく変えたのが、角栄の日中国交正常化だった。1972年。日本と中国との外交窓口を台湾とするこれまでの方針を一気に転換し、「台湾は中国の1省である」とする中華人民共和国と正式の外交を取り結ぶことで、外交の軸を台湾から中国に振った。となれば、アメリカもこれに引きずられる。 当時、アメリカも中国との国交を開いていなかったが、日本が頭越しに中国と国交を正常化したとなると、風向きが変わる。台湾との関係を見直し、中国になびく機運が高まる。アメリカ系メジャーもアメリカ政府の後ろ盾がなくなるとみるや、台湾での石油開発プロジェクトから次第に距離を置きはじめたのだった。 仮に角栄が日中国交正常化を断行していなければ......。意味のない議論かもしれないが、アメリカ系メジャーの東シナ海での石油開発が急速に進んだ可能性は高い。結果的に、すんでのところで角栄がストップをかけたのであった

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