野心に満ちた中国と習近平…ここへ来てとうとう「アメリカのドル覇権」を切り崩しにかかった理由

2022年12月14日

中国が米ドルの覇権を崩す動きに乗り出している。今のところドルの地位は鉄壁だが、皮肉なことに米国は自ら米中経済の分断化を進めており、ドル覇権に中国が割って入る余地が出てきた。ウクライナ侵攻以前、人民元が基軸通貨の一角を占めるなど、到底、考えられないことだったが、分断化された国際社会においては、人民元がアジアの地域基軸通貨になる可能性はそれなりに高くなっている。 【写真】衝撃! 中国ではなぜ、「配達ドライバー」が続々と死んでいるのか

石油とドルは密接にリンクしている

〔PHOTO〕iStock

 中国の習近平国家主席は2022年12月9日、サウジアラビアで開催された中国・湾岸協力会議(GCC)で演説を行い、石油や天然ガスの人民元建て決済を推進する方針を明らかにした。  中国は同会議において8つの提案を行っており、その1つが、中国が湾岸地域から石油や天然ガスの輸入を拡大すると同時に、同地域における再生可能エネルギープロジェクトに参加するというものだった。中国がエネルギーを輸入する際、人民元建ての取引を想定していると見られる。  よく知られているように、石油の取引はドルで行うことが慣例となっており、この商慣行は米国のドル覇権と密接に関わってきた。ドルを中心とした国際金融システムは完璧であり、中国は大国になったとはいえ、平時の状態でこの仕組みを崩すことはほぼ不可能に近いと言われてきた。ところが、ここ数年の間に国際金融システムをめぐる環境が激変しており、従来の常識が通用しなくなりつつある。  一部の関係者は、石油取引がドルであることと米国の覇権は単なる偶然であり、両者には何の関係もないと主張しているが、それは物事を一面からしか見ていない。確かに、石油がドル取引だったことは、ある種の偶然かもしれないが、エネルギーと安全保障、そして金融システムがリンクしているのは紛れもない事実である。米国はこれらをうまく活用し、国家の覇権を維持してきたと考えるべきだろう。  石油とリンクされたドル、あるいはそれに基づく米国の覇権は、しばしば「ペトロダラー」と称されるが、この体制が構築されるきっかけとなったのは1973年に発生したオイルショックである。  もともと石油ビジネスは米国企業が開拓したものであり、1960年代までは米国を中心とした石油メジャーと呼ばれる企業が石油取引を支配していた。産油国は不利な条件で石油を提供するしかなかったが、この状況に反旗をひるがえしたのが1973年のオイルショックである。OPEC加盟6カ国は、1バレルあたり3.01ドルだった原油公示価格を一気に5.11ドルに引き上げ、翌年1月には11.65ドルに引き上げた。これをきっかけに一次産品のほぼすべてが値上がりし、世界経済は大混乱に陥った。  オイルショックによるインフレで米国経済は大打撃を受けたが、米国にとってはさらに深刻な事態が進んでいた。それは米ドルの信用不安である。  1960年代、米国企業の競争力は著しく低下し、ベトナム戦争の泥沼化で政府の財政も極度に悪化していた。米ドルには下落圧力がかかり、米国から金が流出。追い込まれた米国政府は1971年、米ドルと金の兌換停止(いわゆるニクソン・ショック)に踏み切っている。産油国による原油価格の引き上げも、きっかけはニクソン・ショックによるドルの下落であり、それをカバーするための措置と捉えることもできる。

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