露呈した高度成長の〝虚像〟 なお続く「豊かさ」への問い 1973(昭和48)年・第1次オイルショック
◇特別連載・サンデー毎日が見た100年のスキャンダル/32
「節電」が叫ばれた猛暑の夏を過ぎても、冬に向けて再度エネルギー不足が懸念される。一方で食料品の更なる値上げラッシュと聞けば、半世紀前の「オイルショック」を連想する。〝消えたトイレットペーパー〟に象徴されるパニックはこの国の地金をさらけ出した。
〈東京電力の会長室はめっきりうす暗くなった。インタビューに来た新聞記者に、「メモをとりにくかったら、あかりをつけますが......」と気をつかうほどのルックス低下なのである〉
本誌こと『サンデー毎日』1974(昭和49)年1月6日号はそう書く。部屋の主は当時の東電会長・木川田一隆(きがわだかずたか)氏だ。前年10月、第4次中東戦争の勃発に伴ってアラブ産油国は石油価格の大幅引き上げと西側諸国への禁輸・供給削減を宣言した。第1次石油危機(オイルショック)である。マイカー自粛▽室内暖房を20度以下にする▽電灯のつけっ放しをやめる――など政府が国民にエネルギーの節約を呼び掛ける中、電力会社トップとして〈率先実行中の涙ぐましい節電ぶりである〉と記事は伝える。
「蒙古(もうこ)襲来以来の国難」だと慌てる財界の声を同号は拾うが、ある種の〝気骨〟を示したのが、植村甲午郎(こうごろう)・旧経団連会長だ。〈冗談とも本気ともつかずこういった。「トイレットペーパーがないぐらい何だ。そんなにジタバタ騒ぐことはない。左手を使えばいい。左手はいくら使っても減らないし、あとは洗えばいい」〉
オイルショックを象徴するトイレットペーパーの買いだめ騒ぎは11月初め、関西で発生した。本誌73年11月25日号は兵庫県尼崎市のスーパーでは負傷者が出たと報じる。〈「ペーパーは絶対、不足していません。買い急がないように」と政府はおっしゃるけれど戦後の物資不足時代も政府は同じことをいい真に受けて買い控えた者は損をした。もうダマされないぞ...〉