FRBの引き締め姿勢は揺るがない
【経済着眼】CPIの低下で早期解除への思惑は膨らむが
FRB本部=CC BY /AgnosticPreachersKid
米国の10月消費者物価指数(CPI)の前年比は+7.7%と前月(+8.2%)を下回り、今年1月以来の水準となった。これをはやして米国では10日のNYダウ終値が1,200ドル超の高騰となった。為替市場では一挙に146円近辺から140円台まで急騰した。 FRBが12月の利上げ幅を4会合連続して続いた0.75%から12月には0.5%まで縮小する、さらにFRBが金融引き締めから緩和への転回(pivot)も早まるという観測が高まったためだ。果たしてFRBは市場の期待する金融引き締めの早期解除に動くのであろうか。 すでに景気の後退を示す材料も増えている。FRBが金融引き締めを続ければ来年にはリセッション(景気後退)入りが確実との見方が多い。 FRBが注意深くウォッチしている住宅市場の動向をみても、30年物モーゲージ金利が7%を越えて、2002年以来の高水準となっている。全米で住宅価格が下落に転じた。とくにコロナ感染が始まった時以来急騰を続けてきたニューヨーク、ロサンゼルスなど大都市の下落幅が大きい。 FRBの金融引き締め早期解除を主張する論拠は、金融引き締めさえ止めれば、米国経済の強靭さを背景に、恐れられているリセッションを回避できるとの見方に立っている。もちろん、インフレが落ち着くことが条件ではある。このところ、サプライチェーンの混乱が収束してきたことも好材料としている。 早期解除が可能な背景としてはいくつかの要因を挙げている。半導体不足が急激に改善してきたほか、コンテナ船不足などを映じた海運市況の高騰も下落に転じている。エネルギー価格も落ち着きを取り戻し、急騰を続けた中古車価格も下落している。 GDP成長率が2四半期続いたマイナス成長から第三四半期は+2.6%とプラス成長に復した。可処分所得も労働需給の逼迫を繁栄した賃金上昇からインフレ率に追いつきそうな伸びを見せている。消費者の需要は堅調であり、旅行支出はコロナ前の水準を追い抜きそうな勢いだ。 企業の設備投資も企業収益の伸びを上回るほどのペースで拡大している。こういう論者はこの経済の強靭さを大幅利上げが削いでしまうとFRBを批判している。 早期解除を要望するエコノミスト、市場関係者は、インフレ率が次第に低下してFRBが利上げペースを落として「出口」が展望できれば、米国の消費者コンフィデンスはさらに高まるであろうとしている。銀行預金は財政支出の増大から2兆5千億ドル、個人金融資産は25兆ドルとコロナ前の水準を上回っている。 米国の消費者は借り入れ過多との印象を持たれがちだが、グローバル金融危機時に膨れ上がった債務を返済、いまや住宅ローン借入者の70%がクレジットスコアで最上位得点層に立っている。グローバル金融危機前は20%であった。このような米国経済の強靭さを殺しては元も子もないといった議論である。 しかし、FRBのパウエル議長がジャクソンホールのスピーチでほぼ40年振りとなる米国最悪のインフレーションと戦っていくことを誓ったのはわずか3カ月前である。その中でパウエル議長は、1980年代にインフレ退治に全力をふるったボルカ―議長の言葉である「仕事をやり抜く」とも言明した。 現時点ではインフレが収束するのか、金融引き締めによってどれだけ多くの失業者が生まれるのか、借り入れコストの大幅な上昇に米国経済、金融市場がうまく対応できるのか、といった諸点はなお見通せていない。 FRBが4会合連続で0.75%の大幅利上げに踏み切ったあと、新たなフェーズに入ったのは確かである。ゼロ金利の修正から始まった今回の利上げはいまや中立的金利水準(2.5%程度)を明らかに上回り確実に米国経済の需要を抑制するとともに世界のマーケットにとっても大きな影響を及ぼす領域に入ってきた。 先日の利上げで政策金利は3.75~4%に達した。109年に亘るFRBの歴史の中でも最も速い利上げペースと言える。さらにFRBは量的緩和をやめて9兆ドルのバランスシートを縮小させる量的引き締め(QT)の動きに出てきた。市場の期待やオーバーキルを懸念するエコノミストなどの批判があっても当面、インフレ期待値が高まるのを防ぐために厳しい金融引き締めを続けていくとみるのが標準的であろう。 民主党左派やエコノミストからFRBに対する批判が高まっている。つまり、民主党の左派は「行き過ぎた引き締めが景気後退を招き、数百万人規模で米国人の雇用を危機におとしめる」とFRBを攻撃しはじめた。 ブラウン上院銀行委員長やエリザベス・ウォーレン上院議員、B.サンダース上院議員らはFRBに対して利上げ計画を再考するように求めている。彼らが懸念するのは雇用だ。FRBでは失業率が4.4%まで上昇すると予想しているが、この見通しは楽観的過ぎるとウォールストリートや学界から批判されている。 FRBにとっては上記のような株式市場や政治家、エコノミストの批判よりも気にかけているのは労働需給であろう。労働市場では引き続き需要が力強さをみせている。非農業部門就業者数は22年入り後、月平均で42万人の増加と昨年(56.2万人)よりは減少している。 失業率も3.7%とコロナ前の水準(3.5%)と変わらない完全雇用水準にある。さらに一人の失業者に対して二人の求人がある。このように労働市場は歴史的に見ても最もタイトな状況にある。 したがって賃金を弾まない限り、求人の枠は埋まらないようになっている。とは言え、平均5%の賃上げでは8.2%の消費者物価上昇率には追い付かない。更に困ったことには食料とエネルギーを除いたコアインフレ率も上昇が加速しており、物価上昇圧力が簡単には低下しない様相を強めている。 民間エコノミストの間では2%のインフレ目標内にインフレ率を収めようとすれば失業率は5.5%まで悪化するのを許容しなければならないと指摘している。いや、それを上回る7%という推計すらある。 「0.75%の利上げを何度も行っていくことは飛行機がスムーズに着陸することを不可能にして地面に衝突する事態を招き寄せている」との批判も高まってきた。FRBは今年3月まで金利引き上げに着手しなかったことによって、インフレ抑制という自らの仕事を複雑なものにしてしまったと言える。 早く利上げに着手していれば、ここまで強力な引き締めが必要であったかは疑問である。FRBの幹部は、1970年代の高インフレを招いた小さすぎた引き締めの反省の上に立って、行き過ぎの方がマシだと考えているようだ。 ただFRBがインフレ抑制最優先のために金利水準を思って引き上げるという戦略的な方向性は、グローバルにも多大の影響を及ぼし始めた。たんに各国の中央銀行がFRBの利上げに合わせて自らも利上げに動く必要性に迫られただけでなく、ドル高・自国通貨安の動きが高まり途上国ではデフォルトなど債務危機の可能性が強まっている。 もっとも傷つきやすいのは高水準の債務に喘ぐ新興国、途上国である。ドル高の進行と借入金利の上昇に直撃されるためだ。低開発国の60%程度の国が不可避的にデフォルトに襲われるとIMFなどでは警告を発している。 さらに24兆ドルの規模を誇る米国の国債市場における脆弱さが目立ってきたことも懸念材料だ。世界の金融システムの基礎とも言ってよい米国債市場でいまや時折、取引が不安定になり、流動性も2020年3月のメルトダウン以降見られない低水準となっているようだ。 その当時、FRBは市場に介入して大規模な危機に陥るのを防いだ。今回、財務省は流動性の改善を狙って市場からの国債買い戻しを検討していると伝えられている。 それでも金融引き締め姿勢が揺らぐことはなさそうだ。1980年代にボルカーFRB議長(当時)が70年代のバーンズ、ミラー議長時代に景気に配慮したため、不十分な金融引き締めに終わりインフレ期待値の上昇を抑えるためにプライムレートが22%にも達する思い切った引き締めを行った。 このおかげでようやくインフレ心理が落ち着き、その後の米国経済の繁栄の基礎を作ったことは疑いない。しかし、国際的にはドル金利の高騰などからメキシコ危機のような債務問題も引き起こした。 IMF、世銀などの国際機関でFRBの金融引き締めが開発途上国に及ぼす悪影響を憂慮する声も小さくない。しかし、パウエル議長は、まずは米国のインフレ心理台頭を撲滅するのが世界経済にとっても利益が大きいと引き下がらないであろう。
俵 一郎 (国際金融専門家)